プロフィール

>>七世  岡安喜代八    >>三世 岡安茂登

    七世 岡安喜代八(おかやす きよはち)
 
  

岡安流分家家元  昭和9年東京生まれ。

父 : 稀音家三郎(きねや さぶろう ・・・三味線方。 十代目田中伝左衛門の三男)
母 : 五世 岡安南甫(おかやす なんぽ  ・・・岡安流分家家元)
師事 : 宗家十四世 杵屋六左衛門(きねや ろくざえもん ・・・人間国宝)

昭和13年 4歳 初舞台。演奏曲「宝船」
昭和29年 20歳 「長唄・清明会」にてプロデビュー。 演奏曲「竹生島」
昭和40年 「七世岡安喜代八」襲名。結婚。
昭和49年 皇居内にて御前演奏
平成05年 「豊島区邦楽連盟」理事長就任


岡安流分家の当主として、本家に協力、「岡安会」を主宰。
研鑽を重ねるかたわら後進の育成に向けて、小学校、高等学校で三味線を中心とした伝統邦楽を指 導し、
「豊島区邦楽連盟」の理事長として邦楽の普及に勤め、現在に至る。



● 長唄の目指すもの ●

「芸人になるな芸術家になれ」とは六左衛門師から教えられたことです。
目先、小手先の華やかさではなく、基礎を大切にし本質を求道しろということだった と思います。

本質とは、作詞者と作曲者が何を意図し、どんな時代背景からそれが生まれてきたか を的確に理解し、
聴衆にそれを届ける、ということです。

“自分だけ”引き立たせるのではなく、曲が引き立つ演奏の仕方…それを私は求め続 けてきました。







  三世 岡安茂登(おかやす も と)       

岡安流 分家家元 岡安喜代八の妻。岡安会理事。

13歳より手ほどきを受け、その後、稀音家三郎(義父 きねや さぶろう)に師事。
昭和40年に喜代八と結婚。三世茂登を襲名。
義母五世岡安南甫(おかやす なんぽ)と共に舞台を務め、長唄協会演奏会、
女流名家長唄大会等に出演し現在に至る。

また「豊島区邦楽連盟」に所属し、小学校巡回公演に参加、次世代の子供達が伝統芸能に ふれ、
理解してほしいとの思いで活動を続けている。




●  長唄との出会い ●  

                                   昭和24年頃、その頃はテレビも無くラジオのみの時代でした。
                                   家中、長唄が大好きでしたので、ラジオで良く聞いておりました。
                                   ある日素晴らしい唄声と綺麗な三味線の音に魅せられ、そこに座りこみ聞き入りました。
                                   それは忘れもしない芳村伊十郎・山田抄太郎両師による「秋の色種(あきのいろくさ)」でした。
                                   どうしても長唄が習いたく、母に頼み家にお師匠さんをお招きし、三味線を始めました。
                                   聞くと弾くのとは大違い、びっくり致しました。

                                   縁有って代々続いた長唄の家に嫁ぎ、今日に至っております。
                                   そのときの感動、聞く人に和みを与え、少しでも心に届く、良い音色が出ることを願い、

                                   若き乙女の頃の夢、一歩、一歩歩んでおります。
 
                                   大好きな句の一つです。「かたつむり 登らば登れ 富士の山」
 

 写真左から喜代八、茂登、香代(次女)


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